精神疾患は多くの数があり、同じ疾患でも病態は異なります。
同じ精神科に通院する病気であっても、社会生活を営むことができる状態の方もおられますし、入退院を繰り返したり、地域で生活をしていくのが難しい状態の方もおられます。
病態水準という考え方
病態水準とは
私たち心理士は、病院勤務であっても患者様の病名を気にすることは大切というのは前提ですが、病名を医師や看護師ほど重視しません。
その変わり「病態水準」という方法で患者様のアセスメントを行ないます。
医師が診断をつける役割であれば、私たち心理士は病態水準を見立てるのが役割となります。
病態水準とは精神症状の重篤さを3水準に分類した概念です。
精神症状の軽い順から
と呼ばれています。
目の前の患者様が、この3つのどの水準に該当するかどうかをアセスメントすることで、心理面接の適応を判断します。
例えば精神病水準の患者様には、深く考えて自分を見つめていくような心理療法(いわゆる精神分析のような)は不向きで、その方の生活を支えていけるように安全な空間で支持的に関わる方法が向いています。
そのため、病態水準の把握を間違えてしまうと、その後の心理療法の方法を選択する時にも影響が出ます。
病態水準の査定方法
病態水準は、心理面接のアセスメント時期のやりとりや、今までの成育歴、家族歴、診断名、心理検査の結果などから総合的に判断します。
評価基準は以下のものがあります。
現実検討能力
同一性の統制度
どのようなものなのかを見ていきましょう。
現実検討能力
現実検討能力とは、「現実と自我境界を正しく認識する力」です。
現実検討能力が低下している場合、以下のようなことが起こります。
「私の考えていることがAさんにばれている。すべて抜き取られている」
「NHKで話していた内容は自分のことだった」
「隣の家の住人が嫌がらせをしてくる」
つまり妄想や幻聴などの精神症状が出るわけです。
現実を正しく認識できないということは、今起こっている出来事を歪んで捉えてしまったり、世界のすべての出来事を自分に結び付けて考えてしまったりする、ということです。
また、自我境界があいまいということは、自分と他者の境界線があいまいということです。
例えば、私たちは心の中で考えたことが表現もせずに他者に伝わることなんてありえない、と知っていますよね。
それはなぜでしょうか。
私と他者の間には目に見えないけど境界が存在し、勝手に心の中を読まれたり、相手が表現もしないのにテレパシーのように相手の考えが伝わってくることはない、というのが感覚的にも常識的にも分かっているからです。
当たり前のようですが、これは私たちの心が持つ機能の一つです。
しかし、現実検討能力が低いとこの機能がむちゃくちゃになるんです。
同一性の統制度
自我同一性という言葉を聞いたことがありますか?
同一性とは、自分が何者であるのかをきちんと把握できており、自分の記憶、考えなどが一貫性を保っているかどうか、どれだけ自分のことを一人の人格としてまとまりを持って意識できているか、ということです。
例えば解離性障害の方などはこの同一性が統制されていません。
同一性が統制されていないと、自分が何者なのか分からない、記憶が曖昧、行動や考えに一貫性がない、などの状態になってしまいます。
防衛機制とは自分の心を守るための規制です。
苦しい出来事が起こった時に、私たちはその苦しみをそのまま受け止めると耐えきれないので、形を変えて受け止めることをします。
例えば、虐待を日々受けている子どもが、その状況に自分の心が耐えられない時、無意識に自分の中にもう一人人格を作り上げます。
そして虐待が行われている時は、そのもう一人の人格と交代し、本来の自分は心の奥深くで眠る、ということが起こります。
これが解離性同一性障害、いわゆる多重人格ができあがるメカニズムです。
もっと日常的なもので言うと、嫌なことがあった時に心で受け止めきれない時、お腹が痛くなったりして身体で痛みを受け止める「身体化」、本当は欲しいのに手に入らないと分かったら、「あの商品は評判が悪いんだ」などと自分に言い聞かせる「合理化」などがあります。
私たちはこれらを無意識のうちに用いますが、防衛機制を用いることは自分を守ることでもあるので問題ありません。
しかしその防衛が過剰すぎたり、病的な防衛機制を用いている場合には日常生活で問題が起こります。
例えば、苦しいことを心の中に閉じ込めて何もなかったことにする「防衛」という防衛機制がありますが、これはある程度であればみんな用いますし、生きていくためには必要な機制です。
しかしあまりにも心の中に強固に負の感情を閉じ込めすぎると、いつか爆発してしまいます。
そしてこの防衛機制には、先ほども書いたように病的なものもあります。
心理士は目の前の人がどんな防衛機制を用いながら生きてきたのかを見ていき、病態水準を査定する際の参考にするのです。
防衛機制に関しては以下の記事に詳しく書いています。
病態水準のレベル
では、次に病態水準のレベルを見ていきましょう。
神経症水準
現実検討能力や同一性が保たれている方です。
この水準だと思われる方は、葛藤を葛藤として感じ、表現をすることができる方たちです。
病態水準が重たい方、精神疾患が重たい方は、葛藤をすると心が壊れてしまうため葛藤ができませんが、この水準の方はしんどいことにある程度耐えて、それを解決していこうとする心の力があります。
心理療法が非常に有効な水準の方たちで、予後も悪くはありません。
認知行動療法なども適用できますが、個人的には精神分析がとても合うように思います。
防衛機制でいうと、身体化や防衛を用いていることが多く、診断で言うと、不安神経症やストレス性障害、適応障害の方たちが当てはまることが多いです。
不安神経症の中に含まれるパニック障害については以下の記事に詳しく書いています。
境界例水準
現実検討能力は保たれており、精神病水準ほど病的ではないけども、神経症水準ほど軽症ではない水準が境界例水準です。
境界性人格障害、いわゆるボーダーラインと呼ばれる方たちはこの水準であることが多いです。
見分け方としては、用いている防衛機制に他の2つの水準の方と大きな違いがあります。
境界例水準の方は、「行動化」「投影性同一視」などの防衛機制を用います。
例えば、嫌なことがあった時にそれを心の中だけで処理することができず、家を飛び出したり自傷行為をしたり、行動で発散させる、という方法を取ります。
葛藤を抱えられないわけではないけども、それの処理方法が未熟で派手なことが特徴です。
私はボーダーラインの方と心理療法をするのが、どちらかと言えば得意なほうですので、この水準の方にも心理療法は積極的に行います。
しかし心理職初学者の者にとっては非常に難しい水準で、鍛えていただくのには良いのですが、関係性を築けなかったり、患者様や自分自身が傷つく体験になることもあります。
初学者が境界例水準の方へ心理療法をする場合は、私もそうしていましたが、必ずスーパーヴァイズ(ベテランの心理士へ指導を受けること)を受け、主治医と相談をしながら医療機関で行うべきです。
ボーダーラインについては以下の記事に詳しく書いています。
精神病水準
現実検討力、同一性が保たれておらず、幻覚や妄想などの精神症状が出現している水準です。
診断名で言うと、統合失調症の方の多くが当てはまります。
心理療法は内的な葛藤を扱うものは禁忌です。
葛藤を扱うことで苦しい思いに直面化し、心が耐えられなくなります。
ただ心理療法が適応できないわけではなく、むしろ積極的に行っても良いと思います。
生活環境を整えたり、日々の困りごとに対する助言をしたり、ストレス対処法を習得したり、コミュニケーションのスキルを練習したりなどの、支持的な精神療法を安全な場所で行うと、その方の心を乱さずにお役に立つことができます。
病態水準は時代遅れ?
病態水準の考え方は心理士以外はほとんどすることはありません。
精神科医の方でも、精神分析をしている先生以外はそのような視点で見ることはないと思います。
何より、病態水準は査定をする基準があいまいで、人により若干のずれが生じるものです。
客観的な心理検査の情報、医学的な医師の視点、実際の生活状況なども総合して判断しますが、その判断は非常に難しく時間がかかります。
病態水準自体は精神分析の理論をもとに作られたもので、精神分析が時代遅れと言われている時代には、やはり病態水準を見ることができる心理士も少なくなってきています。
それでも、医師が心理検査を私たちに依頼する時に、病態水準を把握したい、という依頼内容はとても多いですし、病態水準の把握は心理療法の方法を決めるための重要な指標にもなります。
そして何より、私たち心理士は人の心を扱う職業です。
病態水準が見れないということは、その人を総合的に見ることができないということです。
臨床心理士の資格で活動をしている心理職であれば、オリエンテーションに関係なく病態水準の査定ができることは必須だと思います。
公認心理士に関しても、本来であれば病態水準の査定ができるべきです。
しかし公認心理士は、臨床心理士よりも幅広い視点・領域をまたぐ資格(と私は感じていますが)ですので、必須とまではいかないのかもしれないですね。
おわりに
小難しい話になってしまいましたが、病態水準は人間の心を理解する上では外せない概念です。
私は心理学オタクなので(笑)こういう話がとっても好きなんです(笑)
学問としても楽しんでいただければ幸いです。