耳をふさぎたくなるような児童虐待のニュースが毎日のように報道されています。
最近では東京・目黒区で5歳の女の子が虐待により死亡しました。
船戸優里被告は初公判で号泣し、起訴内容を認めたとのことです。
まだすべては明らかになっていませんが、優里被告は夫である船戸雄大被告から心理的DVを受けていた、という趣旨の話も出ているようです。
虐待は最初はしつけのつもりで行っていても、ほぼ100%エスカレートしていきます。
そのようなこともあり、2020年4月からは、児童福祉法や児童虐待防止法が改正され、親による子どもへの体罰を禁止することとなりました。
最近では児童相談所の職員配置を、良質ともに見直すべきだ、という声も上がっています。
これは児童相談所職員の質が悪いと言っているわけではなく、専門家が常駐していないことがほとんどなのです。
医師、心の専門家、法律の専門家などがいない状態で、しかも慢性的に人出不足であるという現状を変えていかなければならない、という動きはあります。
虐待のハイリスク家庭への家庭訪問や、子育て相談を手厚くしたり、一人親家庭への支援を充実させることも重要だと言われています。
このような取り組みで児童虐待は減っていくのでしょうか。
もちろん、制度が整い、虐待を防止する、早期発見する、発見後に再発を予防するための職員が十分にそろい、国民全体が児童虐待に関心を持つことで得られる効果は大きいと思います。
しかし児童虐待は制度や周囲からの助けだけではどうにもできない闇があります。
今日は児童虐待の中毒性について書いていこうと思います。
児童虐待の中毒性
まず、暴力には中毒性があります。
最初は遠慮がちだった暴力も、放置すれば必ずエスカレートします。
慣れてきて感覚が麻痺していくのと、依存性・中毒性があるからです。
虐待をしている養育者は、暴力で他者を支配する感覚に酔うようになるのです。
目の前の子どもは自分が好きに扱っても良い「自分の物だ」と。
だから里親に出したり児童相談所に預けたりすることを嫌がるのです。
明らかな虐待がある子どもを、児童相談所が保護した際に、虐待をしている養育者が鬼のような形相で児童相談所に乗り込んでくることはよくあります。
保護している子どもを、虐待している養育者が連れ去ることもまれではありません。
その時の子どもを取り戻そうとする養育者の執着はすごいですよ。
「家族を離れ離れにする気か」
「子どもを誘拐して訴えるぞ」
「私が産んだ子どもだ」
このように何時間も怒鳴られることもしばしばあります。
虐待をしている養育者は、子どもがいなくなると困ります。
暴力で子どもを支配し、自分が頂点に立つことに一種の快感を感じているからです。
怒りのままに殴り、気まぐれに優しくする、自分の気持ち一つで他者を操れる快感にひたっているのです。
もちろんこれはすべての虐待者に当てはまるものではありません。
中には子育てに疲れ果ててついつい手を出してしまう、孤独で経済的にも苦しくてネグレクトをしてしまう、そんな養育者もいます。
だけど一定数、「虐待に依存している」養育者もいることは、私たちは知らないといけません。
被虐待症候群
これは児童虐待が慢性化し、殴られるのが特別なことではなく当たり前のことになった時、虐待をされている子どもが暴力に対してまったく無抵抗になることを指します。
殴られて悲しい、痛い、などの感情が抜け落ち、殴られるのが当たり前、という感覚になるのです。
これはある種、自身の心を守る防衛でもあります。
毎日のように繰り返される過酷な暴力に、毎回泣いたり悲しんだりしていては心が持ちません。
当たり前の日常と受け入れて、ただじっとしてる、という状態です。
心が動かなくなる、というのは私たち大人でもおこります。
しかし罪のない子どもが、理不尽な暴力に無抵抗になり、何も心が動かなくなる姿は見ていられないほど残酷です。
虐待を受けた子どもの心理的ケアはとても過酷で、支援者のほうもトラウマを抱える時もあるほどです。
それだけ子どもの心に深い傷をつけるのだな、と毎回感じます。
そしてその姿を私たち大人はきちんと直視しなければならないのだと思います。
児童虐待を防ぐために
先ほど書いたように、養育者と子どもを守る制度は絶対に必要です。
そして周囲の手助けも不可欠です。
しかし、児童虐待はそれぞれ原因も異なるので、これをすれば大丈夫、ということはありません。
特に今回テーマにした、児童虐待の依存性は根が深い問題です。
暴力に依存している場合はどのような対策が取れるのでしょうか。
まず最悪の事態から引き返せるチャンスは何回かあると思います。
最初に暴力が始まった時、すでに暴力に依存していた場合は少ないと思います(世帯間連鎖の問題がない場合)
最初は殴ってしまった後に「またやってしまった」「エスカレートしている」という自覚はあります。
しかし、それを誰かに相談すると、子育てが十分にできていないと思われる、という不安があり相談できないことが多いのです。
「子どもを連れていかれる」「警察に言われる」などの不安もあるでしょう。
この時に勇気を出して相談できる、というのが引き返せる第一の分岐点だと思います。
もちろんこの時点で周囲が気づき助け舟を出せることも引き返せるきっかけとなります。
虐待をしている養育者の配偶者や、親族、友人などが声をかけ、そこから一緒に専門機関に相談に行けるのがベストですが、なかなか難しいことも多いです。
虐待をしている養育者は、手助けをしようとすると拒否をすることが多いですが、それは根底に不安があるためです。
「このままではまずい」
という不安があるからこそ、周囲に露呈してしまうことを恐れるのです。
そのため、虐待を止めるための支援者や周囲の人間は、養育者と子どもの状態を瞬時に把握し、臨機応変な態度を取ることが求められます。
子どもを可愛がれない、ついついきつく当たってしまう、などで育児ノイローゼぎみの段階の場合、叱咤激励は効果がないどころか悪い方向に向くのを手助けするだけです。
つらかった気持ちを聞き、共感の言葉をかけることが何より大切です。
そして具体的な育児の手助けや養育者のケアを考えることが必要でしょう。
しかし、子どもが死にかけているほど虐待が日常化かつ重篤化している段階で、受容共感的に対応していれば、子どもの命を守れません。
適切な方法で子どもを迅速に保護する必要があります。
このように、問題の段階により対応方法を変化させていかなければなりませんし、複数の支援者・応援者が必要になってくるのです。
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正しい知識を身につけ、最新の情報を知っておくことで、自分に何ができるのかを考えることができるようになると思います。
すべての子どもが安全な環境で養育されることを心から祈っています。