旅ごころブログ🐒

心理カウンセラーをしている筆者が心理学の知識を紹介するブログです。趣味の旅行で行ったおすすめスポットや飲食店の紹介もしていきます。

映画「がっこうぐらし!」 心理カウンセラーの感想

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映画がっこうぐらし!という作品をご存知でしょうか。

原作である漫画は累計発行部数で250万部を超えた大人気作品です。

 

人気のある漫画やアニメが、映画などで実写化すると、作品のファンから拒否反応が出ることがありますが、私はこの映画の原作を読んだことがなく、たまたま知人の家にDVDがあったため鑑賞しました。

 

 

普段あまり見ないジャンルでしたので新鮮に感じましたが、主人公たちの心理描写も面白かったので、心理士としての視点で感想を書いていきます。

 

 

※ここから先はネタバレありです。

 

 

 

がっこうぐらし!ストーリー

がっこうぐらし!の基本設定は、ゾンビが発生した学校内(おそらく世界中に発生している)で、4人の女子高生と1人の教師がゾンビに怯えながらなんとか生き残るために生活をしている・・・というものです。

 

 

しかし、このがっこうぐらし、原作でもそうだったようですが、最初は女子高生たちの「普通の日常」を描いた学園ものだと思いきや、実はゾンビものだった、というまさかの展開(映画では予告編からネタバレしていたようですが)を描いています。

 

 

と言うのも、最初は「学園生活部」という、学校に寝泊まりして野菜を育てたり、自分たちで料理を作ったりしながら生活をする、という部活に所属し、楽しそうに幸せそうにしている光景が見られます。

 

 

だけど何かがおかしい・・・

 

 

実は女子高生の1人が、友人たちがゾンビになっていく姿を見て、そのショックを抱えきれずに、「学園生活部」で幸せに生活をしている、生徒たちもみんなちゃんと生きている、という自分の妄想の世界へ逃避してしまっているのです。

 

 

他の部員と顧問は、その女の子に現実をつきつけることはせず、妄想に付き合いながらその子を見守っているわけです。

もちろんその陰では食料の確保やゾンビとの戦闘もしながらです。

 

 

すごい設定ですよね~

 

 

学校内にゾンビはたくさんいるのですが、バリケードをはっている場所は安全です。

そこで一見平和に、部活動と称して、毎日一緒に食事をし寝泊まりをする光景と、バリケードの外に出たら大量にいるゾンビとのギャップに驚かされます。

 

 

まとめると、がっこうぐらし!はジャンルとしては「ゾンビもの」になるようですね。

(ただこの作品ではゾンビをゾンビとは呼びません。一度もゾンビという言葉は出てきません。「彼ら」と呼んでいます)

 

 

そのためゾンビものとしての見どころであるゾンビとのアクションも見られます(シャベルで戦う女子高生は勇ましいです)

 

 

だけどそれだけではなくて、日常的な描写も多く見られるので、そのような日常ものとしての楽しみもあります。

 

 

がっこうぐらし!で描かれる2つの世界

さて、今回の記事の本題です。

 

 

がっこうぐらし!は主人公の一人が、今回の事件を受け入れられずに「平和な世界」の妄想に逃避してしまいます。

 

 

それは主人公が、誰もいない教室で一人で楽しそうに授業を受けている(本人はみんなで受けていると思い込んでいる)シーンや、ゾンビから逃げる時も運動会の曲とともに楽しそうに走り抜けるシーンなどで表現されています。

 

 

そしてこれ。

 

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パッケージの上側、屋上で女の子が4人並んで立っています。

天気が良い日に屋上で撮った写真、といった様子で平和なほのぼのした雰囲気が漂っていますが…

 

 

パッケージの下側は窓が割れてカーテンはやぶけ、血しぶきが散っている、物々しい雰囲気になっています。

 

 

これも「平和」と「絶望感」の2つの世界が同時に存在していることを表現しているように感じられます。

 

 

映画のシーンを見ても、妄想の世界に入り込んでいる部員を見守る他の部員たちは、食糧確保やゾンビとの戦闘など、「現実的な」ことをその子に気づかれないようにやってのけるのです。

 

 

文化祭をやったり一緒に夜空を眺めるシーンなどは、全員がゾンビだらけの学校にバリケードを張って生き延びていることなど忘れているかのよう。

 

 

私はこれらのシーンを見て、部員の女の子の妄想の世界、ファンタジーの世界に他の部員たちも一緒に浸っているのだな、と感じました。

現実を忘れられるファンタジーの世界に一時浸り、そしてまた現実的に解決をしないといけない問題と戦う・・・まるで現代社会を反映しているような構図です。

 

 

※ここからはさらにネタバレになります

 

 

 

 

それをもっとも感じたのは、序盤からずっと彼女たちを見守り、暖かい助言を与えていた養護教諭の「めぐねぇ」は、実はすでに彼女たちをかばいゾンビになっていた、ということが分かるのです。

 

 

彼女たちはこのゾンビ騒動が起こった日に、めぐねぇと一緒に生き残りました。

しかし、保健室で必要なものを集めている時にゾンビに襲われ、めぐねぇはゾンビ化してしまいます・・・

 

 

自分がもう助からない、ゾンビ化する、と悟っためぐねぇは、保健室を施錠し、自分で傷の止血をし、自分がゾンビになるまでの数分の間に、自分を壁に縛りつけて、彼女たちを襲わないようにしていたのです。

 

 

ずっと保健室に近寄れなかった彼女たちは、学校生活を始めて数か月たってそのことに気づきます。

そしてそれを一つのきっかけに、学校の外に出て他の生き残りを探す旅に出発する、というラストです。

 

 

ショッキングな出来事が起こった事件当日に、友人と一緒に大好きな養護教諭が生き残ったことは心強かったことだと思います。

それがゾンビ化してしまい、まだまだ子どもの彼女たちは過酷な現実を生き残るためにそれぞれ自分の心を「防衛」します。

 

 

一人は現実をなかったことにし(解離または抑圧)、妄想の世界に入りこみ(白昼夢)無邪気に遊び(退行)

 

一人は現実をさも受け入れて冷静に戦い(合理化)

 

一人はすでにいないめぐねぇに話しかけ自分で自分を励まし(否認)

 

 

「めぐねぇ」は彼女たちからすると非常に神秘的で自分たちの今にも切れてしまいそうな心を支える柱という機能を担っていたのでしょう。

世界が崩壊している、というのは映画の序盤で分かりますが、めぐねぇがいない、というのは映画の終盤で分かりますし、めぐねぇがいない、と鑑賞者も彼女たちも認識してから、彼女たちは学校から出ていく決断をするのです。

 

 

 

めぐねぇはまさに「母性」を表現しているのだと思います。

実際にめぐねぇはいないのだけれども、それぞれの心の中にめぐねぇを内在化しているのです。

めぐねぇが養護教諭というのもまた良いですよね。

私たちは養護教諭に対して母性的で優しいイメージを持っています。

そんな優しい暖かい母性の象徴を、心の中に入れ込んで辛い現実と戦うのです。

 

 

これは現実を生きる私たちも同じです。

私たちは世の中の現実的な問題に対峙する時、とてつもないストレスを感じます。

 

 

小さい時は養育者や安心できる大人に慰めてもらい、一時の安心を得て、また外の世界で頑張れるわけですが、大人になるとだんだんと慰めてくれる人も減ってきます。

 

 

だからこそ心の中に、昔優しくしてもらった記憶を内在化して、辛いことがあった時にその記憶を頼りに、自分で自分を励ますのです。

 

 

ゾンビ化した世界で学校内に閉じ込められた彼女たちは、自分たちの心を守りながら、めぐねぇという母性を心に宿し、時にはそれに慰められながら生きてきたのです。

 

 

それらの心理描写を2つの世界を描きながら表現しているのは見事でしたし、面白い発想だな、と感じました。

 

 

 

 おわりに

私は映画は詳しくないのでエンターテイメントとしての評価は分かりませんし、原作を読んでいないので、原作を上手く再現できていたかどうかも分かりませんが、心理描写は面白いものがあるなあ、と感じた映画でした。

 

 

興味がある方は映画「がっこうぐらし!」ご鑑賞ください。