我々心理士は、高齢者の方への心理療法をしている者は少なく、その実践のほとんどは認知検査や集団療法、家族・援助者への支援です。
しかし、この超高齢化社会で今後高齢者の方への心理療法への需要はこの先確実に高まってきます。
今日は私が日々の臨床業務で感じる高齢者の方の心理的援助で大切なことについて書いていきます。
この記事は私が行った心理療法についても少し触れていますが、様々なことを思い出し「胸がつまる思いで」大切に書きました。
最後まで読んでいただければ幸いです。
高齢者の方への心理士の関わり
まずは現在多くの高齢者の方へ関わる心理士が、実践で行なっている業務についてついて説明します。
これは当然ですが、関わる領域や場所により異なりますが、前述したように、高齢者臨床現場での多くの業務は認知検査や集団療法、家族支援です。
認知検査、認知機能検査は、要は認知症の早期発見や、認知症の方への認知機能の定期的な査定を行うものです。
最近では、高齢者の方の自動車事故の増加から、免許返上をすべきかどうかの判断材料の一つとして、精神科へ認知機能検査を受けに来られる方も多くいらっしゃいます。
またMCI、軽度認知機能障害が世間に認知されるようになってきてからは、なんだか最近物忘れが激しい…と思われた方が、自主的に認知機能検査を受けに来られることも増えています。
やはり超高齢化社会となり、認知症への関心も高まり、情報が一般の方へも伝わってきているため、認知機能検査を受けに来られる方も多くなってきているのです。
受診する病院によって受ける検査の種類は異なりますが、多くは認知症のスクリーニングの検査や、重症度を図る検査を受けることになります。
私たち心理士は、高齢者の方へはこのような「認知機能検査」で関わることが最も多い印象です。
そして次に集団療法での関わりです。
集団療法とは、デイサービスの通所者の方や、入院患者様へ行うリハビリテーションの一種です。
高齢者の方へは、コラージュと呼ばれるたくさんの写真や絵の中から、自分の好きなものを選び、画用紙に貼って作品を作る作業であったり、回想法と呼ばれるテーマを決めてグループで話し合うグループワークを行うことが多いです。
回想法のテーマは、「昔やった夏の遊び」「思い出の旅行先」「若い人へ伝えたい教訓」など昔を思い出す内容から、「人生とは」「今までの生活で苦しかった時代」など、スピリチャルな内容まで様々です。
このようなことを行うことで、認知機能低下を予防したり、今持っている能力を維持したり、人とのコミュニケーションのきっかけとしたりします。
次に家族や介護者への支援です。
家族の方や介護者の方、時には施設や病院スタッフへの助言や相談業務を行います。
介護をする時の心労を傾聴したり、高齢者の方の今の状態をお伝えし、関わりの工夫を一緒に考えたりします。
これらの業務が高齢者臨床での心理士の主なものです。
読んでいただいた通り、高齢者の方への個人心理療法はあまりなされていないのが現状です。
では、なぜ今まで高齢者の方への心理療法は積極的になされてこなかったのでしょうか。
そして、それらの需要は今後どのようになっていくのでしょうか。
高齢者の方への心理療法
高齢者の方への支援は、今までは主に介護領域が担ってきました。
歳を重ねると、様々な身体疾患や身体的な不調を抱えておられる方がほとんどです。
そのため、心理的な支援よりも、身体的な支援が優先されてきました。
また、認知症を抱えている場合、言語的な関わりが難しいため、心理療法を行うことが困難だと思われてきた、というのも理由として挙げられます。
しかし、現代ではそれらの認識が少しずつ変化してきています。
それは前述した「今は超高齢化社会である」ということに関連しています。
つまり、医学の発展で平均寿命は伸びてきており、身体的に健康な高齢者の方が増えてきている、ということです。
そして認知症の早期発見や治療技術の発展もあり、認知症になる=意思疎通が難しい、という図式が当てはまらなくなってきています。
実際、認知症と診断されてからも、進行を抑える治療を続けながら、生活の質を大きく落とさず、何年も生活をされている方もおられます。
高齢になると、心の支援や情緒的な関わりは必要ない、という偏見も少しずつなくなってきているのです。
私見ではありますが、高齢者の方への心理療法はとても大切だと思っています。
それは、高齢者の方ご本人様へももちろんですが、我々働く世代にとっても有益なものなのです。
以下に詳しく書いていきます。
エリクソンの心理社会的発達理論
高齢者の方が心理的なつまづきを感じるのはどんな時でしょうか。
これを考える時にエリクソンの「心理社会的発達理論」が参考になります。
エリクソンという心理学者は、心理社会的発達理論で、人間は成長段階で獲得すべき発達課題があるとしました。
人生を8つの時期に分け、その時期に応じた発達課題を獲得することで、人生を生きる力を得られる、としたのです。
逆にその年代で獲得すべき課題を達成できなければ、後に心理的不適応を起こす原因となる、としたのです。
エリクソンは老年期の発達課題を「統合-絶望」としました。
高齢となり「死」を意識し始め、自分の今までの人生振り返り、自分の人生はこれで良かったのか、自分が死んだ後に何が残るのか、人生で何を成すことができたのか、ということについて考えます。
この時に、自分の人生を心の中に整理することができれば「統合」することができ、これから先も続く自分の人生に希望を見出すことができます。
しかし、人生のやり残しを悔い、死への恐怖に怯えた状態になると「絶望」となり、強い心理的な危機に陥るのです。
もちろん、この課題を達成しようとする時には、心理的なゆさぶりを強く感じます。
気持ちが不安定になったり、焦りを感じるようになります。
考えてみれば「死」という私たち人間誰もが恐れ、抱えていくことが困難な課題を、身近に感じる年代の方へ、心理的な支援が不必要であるはずがないのです。
今の不安を言葉にするだけではなく、自分の人生を語り直し、人生の意味について統合していく、この事へ関心を寄せることが、が高齢者臨床で重要になってくるのだと思います。
そして私たち世代にとっては、高齢者の方の語りを聞くことが、まだ体験していない年代へ思いをはせる機会をいただくことになるのです。
筆者自身が高齢者面接で感じること
私は高齢者の方と心理療法を行い、「死」に直面する場面も多く聴かせていただき、「来週の面接までもうもたないかもしれない」という思いをお互いに抱えながら会っていた時期があります。
その方の死への不安に私も強く不安を感じ、それでも生への希望を語るその方に「人生のすごみ」を感じたのを今でも鮮明に思い出せます。
私たち心理士は多くの専門的技法を用いて心理療法を行いますが、このような面接の場合は、私は何かを変化させるための技法は一切使いません。
その変わりもっとも大切な技法を一つだけ用います。
それは「耐えること」です。
人間誰でも同じだと思いますが、目の前に心理的な困難を抱える人がいれば、「救いたい」という気持ちになるものです。
「相手を変えたい」「何とかしてあげたい」
この気持ちは時に私たち専門家の判断を鈍らせます。
不登校の子どもを学校に「行かせてあげたい」
死に怯える人に安心を「与えてあげたい」
だけどそれは本当に相手のためなのでしょうか。
「私自身が」面接の重い空気に耐えられなくて、相手を変えたいと思っているだけなのではないのだろうか・・・
相手の話に耳を傾けることが、相手の不安に触れることが怖くて「技法」に逃げているのではないのか、それを考えることが私たち心の専門家の一番の専門性です。
高齢者臨床では、もう戻らない時間について思いをはせること、死への恐怖を感じることは絶対に起こります。
その恐怖から技法を使いたくなるのです。
だけど、そうではない。
私は心理士であり、相手を救ったり変えたりする力はなく、ただ寄り添うことが仕事なのです。
だから普段から技法を使用する時には、本当にそれが必要なのかを時間をかけて検討しますし、高齢者の方への心理療法では特に気を付けます。
死に触れる面接は自分の恐怖や不安も強く出るからです。
不安や恐怖に耐え、生きることに希望を持っているその人と一緒に時間を過ごし、翌週まで、まさに「祈るように」会えることを待つのです。
この視点が、心理士が高齢者の方とお会いする時にとても大切なものだと思います。
私がまだ学生の頃、「高齢者の方とお会いする時は人生の先輩だという尊敬の気持ちを忘れず」ということを習いました。
しかし、それは実際に高齢者の方へお会いすると、その方がどんな状態であろうと自然とわいてくるものです。
何十年も生き抜いてきた強さ、これらを感じることができるかどうかも、心理士としてはとても大切なことです。
おわりに
これから先、高齢者の方に対して心理面接を行う機会は増えていくと思います。
私たち人間は、医学の発展で「死」を遠ざけましたが、それは確実に誰にでも訪れます。
明日死ぬかもしれない、それは誰でも同じですが、高齢者の方は若い方よりもそれをより日常で感じるのです。
私は、そのような心の内を聴き、人生の統合をしようとしている時、その瞬間に立ち会わせていただく、まさに人生を教えていただいているような気持ちで高齢者の方にお会いしています。
単純に「すごい」と思うのです。
そしてこの「すごい」という視点を、介護者の方や医師へも伝えていくことも、私たち心理士の仕事なのです。